こんばんは。
ぷんじです。
孤独なカラスの工房へようこそ。

今年のバレンタイデー。
その日も仕事が忙しくて、残業して帰宅したのは夜の10時近くでした。手元には職場でもらった義理チョコが2つ。ため息をついて、来月のお返しをどうしようかと考えながら、お酒の準備をしていると、珍しく電話が鳴りました。
「ばぁちゃんが危ない」
叔父からでした。
今年の年明け早々、転んで大腿骨を骨折し、そのまま入院していた母方の祖母が、風邪から肺炎をこじらせて、危険な状態だということは聞いていました。そのうち見舞いに行こうと思っていた矢先でした。
連絡を受けて、私と母が病院に急いだのですが、残念なことにほんの一足遅く、祖母の最後を看取ることができませんでした。
呼吸器を付けたまま、心臓の動きが止まったことを知らせる、耳障りなピーっていう甲高い音が響く中で、私は目の前の状況が正しく理解できず、ただぼーっとしているだけでした。
ふと気がつくと、いつの間にか私は、母や叔父と一緒に、葬儀屋さんと通夜や葬儀の日取りを決めているところでした。
死化粧も通夜も、葬儀でさえも、私は自分でも信じられないほど、涙を流すことはありませんでした。周りの親族はみんな泣いて、祖母との別れを惜しんでいるというのに。こんな時に泣かないなんて、オレは罰当たりなんだろうか?ずっとそんなことをぼんやり考えていました。
ところが。
火葬場で火を入れて待つ間、味のわからない助六をぼそぼそつまみながら、祖母の遺影を見ていると、なんの前触れもなく、突然ズドンときたのです。
めまいと寒気で、私は火葬場の外に逃げ出しました。
やがて時が過ぎ、みんなで祖母を白い壺に収めている間も、私はこの状況の全てを受け入れることができず、逃げていました。
そんな私を甥っ子と義妹が探しにきたのです。
「みんなでお骨収めてるよ」
私はとうとう観念して、義妹の言葉に促され、最後に祖母のもとに足を運びました。
祖母の骨はもうほとんど壺の中に収められていて、目の前に残っているのは、どこの骨なのかも分からない欠片ばかり。
そこにはもう、ばぁちゃんはいませんでした。
そう思った瞬間、堰を切ったように、嗚咽が止まらなくなりました。
床にポタポタと落ちる涙の音も、左利きの私の手から箸が落ちる音も、気味が悪いほどはっきりと聞こえて、言葉にならない言葉を呻きながら、涙と鼻水でグシャグシャになった顔のまま、だた、「ごめんよ」とだけ繰り返す私。
落とした箸を甥っ子が拾って私に持たせてくれて、私の肩を抱いて、「さぁ、おじちゃん。しっかりしなよ。ひぃばぁのお骨だよ。ひぃばぁの初孫のおじちゃんが拾わなくてどうすんだよ」と。
…。
あの日以来、今夜まで私は泣いていません。
それにしても。
バレンタイデーが命日なんて、チョコが大好物だった祖母らしいかな。
もしかしたら、物忘れがひどい私に向かって、わざと忘れられない日を選んだのかもしれません。